2016年5月8日日曜日

Parisに在るもの 前編

"If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man, then wherever you go for the rest of your life, it stays with you, for Paris is a moveable feast"

もし幸運にも若者の頃、パリに暮らすことができたなら、
その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。
パリは移動祝祭日だからだ。
E.ヘミングウェイ( 高見浩 訳 新潮文庫『移動祝祭日』より)


4度目のParis、2年半ぶり。といっても前回は2日間だけの弾丸滞在だったから、住んでいた時から数えれば6年ぶくりくらいになる。

昔から何度かここに書いているのだけど、Parisには不思議な磁界がある。と思う。
何か大きな力が街全体に渦巻いている。おそらくここに住んだことがある人の中には、この感覚がわかる人がいるのではないだろうか。長い間わたしは、わたしのこの感覚やParisの街に対する感情を、ただの懐古趣味的センチメンタルなんじゃなかろうかと自問していた。パリ好き症候群のただの戯言なのじゃないのかと。


でもやはり今回も同じものを感じた。その力がそこにあった。よほど敏感な人なら観光で来た人も感じるのかもしれないけれど、とにかくどう伝えればよいのか、奇妙な何か。言葉で無理やり手繰り(たぐり)よせるならば、それは”何かと何かを繋げるもの”。それは人と人かもしれないし、人と物かもしれないし、あるいは人とある出来事かもしれない。そういうものが街全体に糸のように張り巡らされているような感じ。Parisの住民全員がそれを感じているとは思えないが、 もしそれを感じる能力がある人がParisに住んでいるのであれば、それと折り合いをつける何かしらの方法を見つけ出して暮らしていかなければ、果てには気が狂いでもしてしまうんじゃないかと思う。ヘミングウェイだってそうだったんじゃないのかと、わたしは密かに疑っている。


そしてここでは、リリシズムと、ウィットと、ユウモアと、エピグラムと、ポオズと、そんなものだけで生活が成り立つような気さえする。例えばそんなものをParisから除き去ったら跡には何が残るのだろうか。何が在るのだろうか。


中編に続く。


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