2016年10月5日水曜日

気がついたらパリ、メトロの構内

ニースに帰ってきてから丸2日間、泥のように眠った。開けようとしても開けようとしても瞼はきっぱりと閉幕を決めた緞帳(どんちょう)のように重く、重くとじる。15時の南仏の太陽は容赦なく部屋の中に差し込んでくる。9月の終わりというのに、カーテンの隙間から強い日差しが入りこみ部屋の中に居ても日焼けをしてしまう。それでもどうしようもないほど体が重く、雨戸を閉めるのが億劫でバサリとベッドに倒れたその時のまま、太陽の光と時折吹き込む風の間でわたしは四六時中眠った。

ようやく目が覚める。なぜこんなにも眠ってしまったのだろう。今回パリから帰ってきてから同じ国なのに時差ボケか?と思うほど、体は重く頭は朦朧とし、眠ることしか考えられなかった。今までに海外旅行も何度か経験しているけれど、国をまたいでもそうそうへこたれない体なのに。こんなことは今回が初めてだった。
そしてもうひとつ、パリから帰ってきて変なこと。道を歩いていたり人と話していたりしているのにそれとは一切関係なしに、一瞬、友人や知り合いの顔が頭にはっきりとした鮮明な画像で浮かぶ。そしてその数分後、もしくは数時間後、その友人から連絡がくる、もしくは道でばったり会う。これをこの数日5、6回繰り返している。
パリから帰ったあとはいつも何か不思議なことが起こる。今度はパリでわたしの中に何が入りこんだのだろう。



気がついたらメトロの構内をずんずんと歩いていた。昔にもここに書いたことがあるけれど、わたしはパリに来る時、時空を超えたようなワープをしてしまう。今回もまたその感覚だった。もちろん、ニースから飛行機を乗って、CDGでバスに乗り換えて、という工程を踏んできた、はずだ。というのも、朝起きて家の近くのバス停からバスに乗り込んだあたりから記憶が曖昧で、そして、気付いたらパリ、メトロ、なのだ。なぜかここに来る時はいつもこう。ワープをする。ワープをした後は、それまでの曖昧さとはうってかわってやけに頭がすっきりし、目の前に広がるものがくっきりとよく見える。初めてのこの体験の時は、気付いたらオルセー美術館のサイの銅像の前。2回目はマレのカフェの前。そして今回は、気付いたらメトロの構内。ぼーっとした頭を抱えて階段を上がってみると、いつものようにやけに頭はすっきりし目の前に現れたのはオテルドヴィルの二匹のライオン、くっきりと浮かぶ二匹の輪郭を見た。


パリに住む親友のセリーヌには、一年間に2回もなんてちょっとパリに来すぎじゃない?なんて憎まれ口を叩かれる。それでも、当初はアパートをどこか借りるつもりだったわたしに、借りる必要なんてないと、滞在の丸一週間彼女の家のベッドを独り占めさせてくれた。

パリ滞在丸一週間、朝から晩まで歩きまわった。左岸の端からぐーっと右岸の端への移動を同じ日に何度も繰り返してみたり、反対に同じカルチエ(地区)の細かい路地を縫うように二日連続で少しずつ歩いてみたり、20区の端で迷子になったりと、自由気ままに気の向くまま、野良猫のマーキングのようにとにかく、とにかく歩いた。朝から女友達を呼び出してずっと喋り続けたり、親友のオフィスに遊びに行って仕事の邪魔をしたり、突然家に泊まりに行ったりと、歩いていない時は友人たちをわずらわせる。


パリに住むもうひとりの大切な友人、何から何までいろんなことを話し合うゾラは、パリから戻るといつも決まってわたしには何かしら状況などの大きな変化が起こるという不思議な出来事を知っているので、彼女は最後の別れ際わたしに言う。「今回はどんな変化があるのか楽しみだね。」


ニースの青い空とエメラルドグリーンの海との暮らしが本当に好きになっている。それでもやっぱりいつまでたってもパリの街の美しさにわたしはいつも魅了されている。美味しいものを食べたり話題の店に行ったり素敵な雑貨を買ったりと、そういう街遊びが好きということもあるのだけれど、本当をいうとそういうことはわたしの中でまったく一番ではない。実はそんなことがまったくなくてもいい。ただただ、わたしは惹き付け続けられている。パリの街全体の微妙な色彩が放つ不思議な磁場に。

>>>Marking in Paris1へ続く



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