2016年1月28日木曜日

ヴェネツィアの光②ー始まりの続き

「ヴェネツィアの光①ー始まり」の続き

次の日もその次の日も、路地から路地へ夢中に歩き回った。壁が両側から迫りくるような狭い路地。光の入らない湿った路地。建物の一階をくり抜いた先にまたその道の先がある。入り口側からは行き止まりにしか見えなかった出口には建物の重厚な扉が目の前に立ち塞がり、そのまま路地は直角に折れ曲がり道が続く。ひとりしか通れない路地は、向かい側からやってくる人が通り抜けるまで待つ、入り口でその人と挨拶を交わす。ボンジョルノ。






いたるところに運河があり、似たような小橋を何本も何本も渡る。地図はやっぱりあまり役に立たない。暗く湿った路地を通り抜け、だんだんと光を目印にしているような感覚に陥る。そして疲れて少し心細くなった頃ようやく広場に出る。この街にあるのは運河、そして無数の路地、 無数の広場。そして広場には迷った旅人を迎え入れるかのように静かに佇む寺院。あるいは後ずさりして広場の端まで戻ってみて、それでも全貌を眺めることはできない巨大な古代ローマ遺跡のような教会。広場に出る度に目にする無数の教会を前に、この街とキリスト教の古い繋がりを感じる。




小橋を渡る度に客引きのゴンドラ漕ぎに呼び止められる。そういえば。水の上からのヴェネツィアはまだ見ていない。
ゴンドラは観光客向けで、ヴェネツィアの住民がゴンドラに乗るのは一生に二回。結婚式と、死んだ後墓地に運ばれる時だけだと聞いた。わたしは観光客だ。それに...もしかしたらわたしがここに来るのはこれきりかもしれない。それならばもっともっと味わいたい。もっともっとこの美しさの中に身を浸してみたい。




値段の交渉をし、ゴンドラに乗り込む。櫂になでられ水が音を立てる。建物の間をゆっくり流れていくうちに、時間の感覚が無くなっていくように感じた。小さな橋をくぐり抜ける毎に、別の世界へのトンネルの中に居るような錯覚を覚える。ゴンドラ漕ぎが運河の上で、すれ違う仲間と交わす荒いイタリア語が建物に反射して細い水路に響きわたる。

建物と建物の間から突然視界が開け、光で一瞬景色が白くなる。大運河カナル・グランデに出た。運河の真ん中で漂い、重く濃密な確固たる存在感でそびえ立つ建物を見上げる。ゆらゆらと水の上で漂う頼りない足下の感覚。やっぱりこれは夢なのではないだろうか。
夢ならいっそこの美しい景色の全てを全部飲み込んでしまおう。
わたしはただ、見た。そしてただ、流された。
水の上、ヴェネツィアの真ん中で。



次回に続く。


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