2016年2月3日水曜日

ヴェネツィアの光③ー始まりの終わり

「ヴェネツィアの光①ー始まり」
「ヴェネツィアの光②ー始まりの続き」の続き

サンマルコ広場に出てみようと朝早く外に出た。ホテルから出てすぐの小橋のふもとで不思議な気配に気づく。それでなくても夢幻的な雰囲気が漂う街なのに、なんだか今日はそれに一層拍車がかかっているように感じる。足下を見てその理由に気づく。それは霧だった。薄らと煙のように足下を漂う霧。歩く度にそれは濃くなるような感覚を覚える。


広場に着く。柱楼に囲まれた台形の広場は、想像していた以上に広い。全体を乳白色の霧に浸した広場の幻想的な雰囲気に陶然とする。これはまだ夢の続きなのではないだろうか。
広場の正面にはサンマルコ寺院の聖堂が霧の中に幻のように浮かび上がり、右手には鐘楼が高くそびえ建っているがてっぺんは霧に包まれ見えない。かつてこの街ではこの鐘楼がつくる日陰でワインを売っていたところから今でもワインのことを「日陰」=オンブラと呼んでいるらしい。今日は日向も影もない、全てが霧の中だ。そういえば、夢の中では「影」は存在するのだろうか。そんなことをとりとめもなく考えながら霧を切り分けるようにしてサンマルコ寺院の方へ進む。


わたしがその日目にしたものは、過去に見たどんな芸術作品にもない圧倒的な光と色彩の連続だった。
薄暗く照明が落とされた寺院の中に一歩入り、天井を見上げて思わず声がもれる。無数のガラス片でできた壮麗な黄金のモザイク画。緻密さで紡がれた聖者の物語。ひとつひとつ目を凝らして見ようとするも、どこから始めたらよいのか途方に暮れる。ひとつひとつに目を凝らし細部に宿る美しさを目にし、目をつむり息を飲む、ただそれの繰り返し。どれだけ見ても見足りない。後ろ髪を引かれながら寺院の奥で行われているミサを横目に通りすぎ、外へ出る。吸い込み過ぎた息を一気に吐き出す。


寺院の隣、かつてはヴェネツィアの行政すべてが行われていたというドゥ・カーレ宮殿へ。ヴェネツィア・ゴシック建築の代表とも言われる建物。白とピンクの大理石で飾られた壁面に、建物を支える大小のアーチ型の柱。中庭を眺め、簡素ながらも細部に宿る建築の美しさをなぞるように歩いていく。
上階へ上がり、大理石で装飾された豪華な装飾が施された「黄金の階段」に辿り着く。中庭の簡素さとは打って変わったような絢爛(けんらん)さに圧倒されながら一段一段階段を昇り、宮殿の内部にひとたび踏み入ると、そこはヴェネツィア派の画家たちの壁画や天井画の世界。官能的とも言える光と色彩の組み合わせ、人間の感覚に直接訴えかけるような音楽的絵画。古代文化の復興の息吹きが今もなおここに。光、そして鮮やかな色彩とともに生きている。
ある思想家が残した言葉を思い出した。「神々は色をとおして現われる。」


宮殿をあとにしても尚、街の中に続く美しさの連続。街全体に濃縮された美の確固たる存在。寒さの苦手なわたしはこの旅行前、どうせなら暖かい季節に来たかったななんて考えていたが、そんなことはまったく野暮な考えだったと気づいた。街を包む神秘的な光の趣を目にできるのは霧深いこの季節ならばこそ。
細い路地や運河に射す光の綾。太陽があたる場所と当たらない暗い場所、入り組んだ街が見せる光と影のコントラスト。霧は生き物のように街中を動き回り、夕暮れ時迷い疲れた旅人に驚くほど深い青色の情景を目の前に差し出しては、跡形もなく姿を消す。
ここ2日間ずっと霧が続いていたが今夜はすっかり霧が晴れていた。明日は満月らしい。膨れ上がった月の光が運河に移る。

その日、身体の中のどこか薄暗く光りのあたらない場所でひっそりと息をひそめていた音色が波立ちざわめきだし、美しい響きを奏でだしたような感覚を覚えた。ヴェネツィアの街でわたしは身体を丸ごと、霧とともに真の美しさに通じる光でくるまれたような錯覚に陥った。


数年前から、現代における”美しさ”に対する感覚や現代のアートの世界に疑問をわたしは持ち始めていた。高い技術とともに時間をかけた作品ではなく、鑑賞者に美しさではなくショックを与えるように意図的に頭で考え出した作品や、自己の精神治療の一環のような作品、芸術というよりもデザインというべき「お洒落な」「格好いい」作品たちが多く溢れかえっているように感じ、このところ食傷気味だった。真の意味の芸術とは、真の意味の美しさとはどういうものか。


街を発つ最終日運河のほとりで、ある思想家が言っていた言葉を思い出した。
「精神の世界という本源の世界からこの物質世界が現象している。美の源泉も精神世界にあって、それが物質界に現われ出ている。個人個人が思い描く主観的な美があるというのでなく、精神世界という普遍的な実在界にある美のイデアを、各人が自分流に具現する。」
もし彼が語ったことに真実があるとすれば...
物質界にはみ出した濃縮した美の源泉と、滲み出た色彩で形作られたものがヴェネツィアの街なのではないだろうか。

水上の都ヴェネツィア。
もしも万が一何年か後に姿を消してしまうことがあるとすれば、
それは水の底に沈むのではない。
物質界からその美しい姿が消えてしまうのでは。
あとかたもなく、霧のように。


終わり


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